室町時代から戦国時代の人々の食生活とは? 天下統一を目指した徳川家康の食と健康

室町時代の後半に「応仁の乱」が起こり、室町幕府の権威が低下したことにともない、全国各地に戦国大名が台頭しました。ここから江戸幕府が開かれるまで、日本は群雄割拠の戦国時代に突入します。では、戦が続いたこの時代の人々はどのような食生活を送っていたのでしょうか。

まず、室町時代は、主食、1種類の汁物、3種類のおかずという、和食の基礎「一汁三菜」が生まれたとされています。主食がご飯という考え方や出汁の利用が始まったほか、貿易が活発になり、砂糖が手に入りやすくなったことで羊羹などの和菓子を楽しむようになったともいわれています。

この時代は、米を保有するものが富と権力を握っていたため、武士の多くは戦いがおさまると農民として耕作をしていましたが、体力を消耗する仕事であったため、力をつけるために健康的な食事をしっかりとる必要がありました。仏教の教えで殺生することは好まれていませんでしたが、薬として猪、熊、タヌキなどを食べていたといわれています。また、庶民の生活水準が上がり、以前は貴族が食べていた調理方法の焼き物、煮物、蒸し物、汁物などが普及していき、より一層健康的な食生活を目指すようになりました。

織田信長や豊臣秀吉が権力を握った安土桃山時代になると、南蛮貿易が盛んになり、鉄砲や火薬などの軍需品の他に、かぼちゃや玉ねぎ、さつまいも、じゃがいも、トマト、ほうれん草などのこれまでに見たことのない食材が次々と日本に入ってきました。人々は、その中で何をどう食べるべきかを考えるようになります。特に武将たちは、体にいいものを食べるように心がけ、自身の健康状態が戦の勝ち負けに影響すると同時に一族の存続にかかわると考えていました。

戦国時代において、食生活を含む生活習慣に細心の注意を払っていたといわれているのが、若き日の徳川家康です。家康は、当時最先端の医学書を読み込み、医者を招いて議論を交わすなど、健康について深く学んでいました。朝鮮から入ってきた「和剤局法」という薬の処方集を常に持ち歩き、自身で薬の調合まで行っていたそうです。

家康の健康法の一つに粗食があります。家康の側近であった僧の天海が、長生きの秘訣として粗食をすすめていました。粗食といっても、粗末な食事のことではなく、飾らない食事の意味で、地元で手に入れた新鮮な旬の食材を使用し、加工せずに食べるということです。地元で手に入れた旬の食材は、収穫からすぐに食卓へ上がるため塩蔵などの加工をする必要もなく、ビタミン、ミネラルなどの栄養素が豊富に含まれているため、健康を重んじていた家康はこの教えをしっかり守り、天下統一を目指していったのです。(監修:健康管理士一般指導員)


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