奈良時代から平安時代の人々の食生活とは? ビタミンB1不足の平安貴族には「脚気」が蔓延

奈良時代は、675年(飛鳥時代)に出された「肉食禁止令」が続き、殺生を禁じる仏教の教えによって、牛、馬、犬、猿、鶏の5つの指定された動物を食べることが禁じられていました。肉食禁止令は、江戸時代末期までの約1200年間も続き、これによって日本の食生活は大きく変化していきます。では、奈良時代から平安時代の人々はどのような食生活を送っていたのでしょうか。

奈良時代の貴族は、魚や野菜、乳製品など品数が多い豪華な食事となり、ガラス器や銀器、陶器などの食器が使用され、玄米から胚芽と糠を取り除く技術が発達したことで、白米を食べることができるようになりました。その一方で、庶民は高価な白米を食べることはできず、玄米と野菜を使った素朴な食事でした。この時代には、野菜の栽培が盛んになり、庶民の食卓を支えていました。栽培されていた野菜の多くは、もとは薬草として食べられていたものが多かったといわれています。

平安時代になると、貴族の食事はさらに豪華になっていき、せんべいや水あめ、ちまきなども食べられるようになりました。肉食禁止令が依然として続いていましたが、庶民の食事では、鹿やウサギなどの指定されていなかった獣肉を食べていたそうです。

こうした中、平安貴族の間では、全身の倦怠感や食欲不振、足のむくみやしびれなどを引き起こし、最悪の場合には死に至る病気が蔓延しました。これは「脚気」といわれる病気で、ビタミンB1不足によって引き起こされます。実は、玄米を精製するときに捨てられる糠や胚芽部には、ビタミンB1が豊富に含まれています。そのため、常に白米を食べていた貴族にだけ脚気が起こったとされています。

貴族の食事は、美しさと品数が重視されており、肉食禁止令を厳守したことで動物性たんぱく質と脂質の摂取量が極端に少なく、全国各地の珍しい食材を使うために干物や塩漬けなどが多く、栄養バランスがとれていませんでした。また、一日の大半を屋内で過ごしていたため、運動不足になり、とても不健康な生活だったといわれています。一方、庶民は玄米を食べていたため、見た目の華やかさは劣るものの、貴族よりも健康的な食事をしていたのです。(監修:健康管理士一般指導員)


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